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松本教会 礼拝説教(説教者 柳谷知之、南部正人)

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「恐れるな」

イザヤ書41章8~16節
8 わたしの僕イスラエルよ。
わたしの選んだヤコブよ。
わたしの愛する友アブラハムの末よ。
9 わたしはあなたを固くとらえ
地の果て、その隅々から呼び出して言った。
あなたはわたしの僕
わたしはあなたを選び、
決して見捨てない。
10 恐れることはない、
わたしはあなたと共にいる神。
たじろぐな、わたしはあなたの神。
勢いを与えてあなたを助け
わたしの救いの右の手であなたを支える。
11 見よ、あなたに対して怒りを燃やす者は皆
恥を受け、辱められ
争う者は滅ぼされ、
無に等しくなる。
12 争いを仕掛ける者は捜しても見いだせず
戦いを挑む者は無に帰し、
むなしくなる。
13 わたしは主、あなたの神。
あなたの右の手を固く取って言う
恐れるな、
わたしはあなたを助ける、と。
14 あなたを贖う方、
イスラエルの聖なる神
主は言われる。
恐れるな、虫けらのようなヤコブよ
イスラエルの人々よ、
わたしはあなたを助ける。
15 見よ、わたしはあなたを打穀機とする
新しく、鋭く、多くの刃をつけた打穀機と。
あなたは山々を踏み砕き、
丘をもみ殻とする。
16 あなたがそれをあおると、
風が巻き上げ
嵐がそれを散らす。
あなたは主によって喜び躍り
イスラエルの聖なる神によって誇る。


ヨハネによる福音書19章38~42
 38 その後、イエスの弟子でありながら、ユダヤ人たちを恐れて、そのことを隠していたアリマタヤ出身のヨセフが、イエスの遺体を取り降ろしたいと、ピラトに願い出た。ピラトが許したので、ヨセフは行って遺体を取り降ろした。39 そこへ、かつてある夜、イエスのもとに来たことのあるニコデモも、没薬と沈香を混ぜた物を百リトラばかり持って来た。40 彼らはイエスの遺体を受け取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従い、香料を添えて亜麻布で包んだ。41 イエスが十字架につけられた所には園があり、そこには、だれもまだ葬られたことのない新しい墓があった。42 その日はユダヤ人の準備の日であり、この墓が近かったので、そこにイエスを納めた。

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 あのときこうしておけばよかった、こんなことをしなければよかった、そんな思いで悩まされ、またこれからどうしてよいか、わからないことが多々あります。せめて、これだけは、という思いで、できることをしたい、しなければ、ということで、なんとか日常を送ることがあるかもしれません。
 イエス様が十字架刑にされた後の、アリマタヤのヨセフ、ニコデモは、もしかするとそのような気持ちだったのかもしれません。今日の福音書では、他のユダヤ人たちを恐れて、公にイエス様の弟子であるということを表明できなかった二人です。他の福音書を読むと、神の国を待ち望んでいた、イエス様の十字架刑には賛同していなかった、ということが分かりますが、恐れに支配されていたことも確かだったのではないでしょうか。

 イエス様の最後は、凄惨の極みでした。「成し遂げられた」と大声で叫ばれ息を引き取った後も、イエス様の亡骸の脇を兵士が突き刺しました。そこでは血と水が流れ出たのですが、その後で、アリマタヤ出身のヨセフが、イエス様の遺体を取り降ろしたい、とピラトに願いでたのです。このアリマタヤというのは、ルカによる福音書の23章を見ますと、ユダヤ人の町とありますが、実際、そのような町はよくわかっていません。いろいろと説がありますが、預言者サムエルが生まれた町ラマタイム・ツォフィムという説が有力です。であるとすると、エルサレムから北西に7~8km離れた町となります。アリマタヤのヨセフについては、4つの福音書の全てが語っています。マタイによる福音書では、アリマタヤ出身の金持ちでヨセフという人として紹介され、マルコによる福音書では、身分の高い議員とあり、ルカによる福音書では、議員とあります。また、マルコやルカでは、神の国を待ち望んでいた、とありますし、ルカでは、他の同僚たちには同意しなかった、ということまで記されています。ヨハネでは、アリマタヤ出身でとしかありませんが、他の福音書から見ると、ユダヤ人の指導者層にいながら、イエス様を信じていた、と言えるでしょう。ヨハネによる福音書では、アリマタヤのヨセフと一緒にニコデモが登場します。彼については、ヨハネの3章に登場してきますが、彼も議員でした。当時、ユダヤ社会では祭司を中心にサンヘドリンという最高議会がありました。大祭司を議長とし、70名ぐらいで構成されていたようで、そのメンバーは、祭司も属していたサドカイ派の人々、律法学者たちのファリサイ派から成り立っていたようで、宗教的なこと、法律に関わることなどを司っていたのでした。ですから、ユダヤの宗教指導者は、政治的指導者でもあったわけです。エルサレムを中心としたところでのユダヤ人の自治組織でした。そのような議員の一人が、イエス様の弟子の一人だったのですが、彼も他の議員、イエス様を十字架につけろ、と叫んでいた議員の前では、隠れキリシタンのように、自分のイエス様の仲間である、ということまで表明することはできなかったと思われます。しかし、ここにきて、すなわちイエス様の死を前にして、ようやく自分がイエス様の支持者であった、ということを表したのです。犯罪者しかもローマ帝国への反逆の罪で死刑となった人の遺体を引き取りたい、ということは、通常考えれば、その犯罪者の仲間の者と見られかねないからです。アリマタヤのヨセフが、それまでは恐れていたにも関わらず、こうして勇気をもってイエス様の遺体を引き取った、と言えるのではないでしょうか。
 ニコデモにおいても、かつては、イエス様を夜訪ねたのです。誰も見ていない夜を見計らって訪ねて、イエス様に質問していったのでした。それが、今度は、腐敗臭を防ぎ、遺体が傷まないようにするため没薬と沈香を混ぜたものを持ってきたのです。これをイエス様の遺体に塗ろうと考えたのです。その量は決して半端な量ではありません。100リトラとありますので、1リトラが330g弱ですから、32~33kgということになるのです。灯油などのポリタンクにすれば2つぐらいでしょうか。これは大変な量です。しかも高価なものですので、これは一体どういうことだろうか、と考えさせられます。そもそも没薬、沈香といった香料は、一般人の手に入るものではありません。そして、死体を傷まないように、腐敗をすぐにしないように、という処置ができるのも、社会の中ではごく一握りの人々、王族や貴族たちということになります。ですから、このことがイエス様が王であることを現そうとしているのです。他の福音書にはそのことが記されていませんので、ヨハネによる福音書は、特に、イエス様こそ世界の救い主、ユダヤ人が待ち望んでいたメシアである、ということを強調しているのです。没薬と沈香を合わせて30キログラム余り、というのは、イエス様が世界の救い主である、ということを表していることになるのです。その意味で、この二人は、仲間内では隠れキリシタンのようであったかもしれませんが、最後にイエス様が救い主であることを表明しているわけです。今まで何もできなかった、死刑の判決のときも、他の議員に混じって賛同はできなかったが、結局無力であった、という思いは、これらの議員すなわちアリマタヤのヨセフとニコデモにあったことでしょう。ですから、この遺体への処理は、彼らのイエス様への思いを表すのに十分であったのでしょうか。
 この後、アリマタヤのヨセフ、ニコデモはどのようになったのでしょうか。同僚の議員たちから責めを受け、議員を辞めざるを得なかったのでしょうか。後の記録は何も伝えていませんので、ある学者は、思いはあったが結局キリストの教会には加わらなかったのではないか、と言っています。しかし、わたしはここに見られる行動は、彼ら自身を変えていくことになったのではないか、と考えています。自ら密かに隠れてしかイエス様のことを支持してこなかった、すばらしい人だとは認めながらも、ついていくことができなかった、というその自分自身の罪をつきつけられたことと思います。そして、もし、そのまま隠れて終わってしまったのだとすると、聖書はあえてイエスの弟子とは書かなかったのではないか、と考えます。
 「イエスの弟子でありながら」恐れた、ということは、それを非難しているかにみえますが、12弟子はじめイエスの弟子は、皆恐れと隣合わせでした。
 そして、ヨセフとニコデモは、イエス様が亡くなった後ではありましたが、遺体を丁寧に扱い、王にもまさる葬りの用意をし、そして新しい墓を用意したのでした。それが、ある意味ではイエス様の復活の出来事への備えともなったのではないでしょうか。客観的に見るならば、ただの前触れということでしょうが、この二人が果たした役割も、神さまが決められていたことなのでしょう。
 人にゆるされたい、過ちを犯してしまった、という取り返しの付かない出来事などにおいても、なお、神が赦し、その前途において、あなたの、そしてわたしの道を用意していてくださるのです。

 いつもローズンゲンのドイツ語版の祈りの部分を、K教会のO牧師がメールで送ってくれるのですが、今朝の祈りは、まさしく、そのことにふさわしい祈りです。

ペーター・ダイホク 1937年生れ カトリック司祭 病院付き司祭、ミュンスターで牧会。
主よ、ゆるしてください。わたしがしてきたことを。
わたしのこころを喜びで満たし、魂を照らしてください。
あなたは知っておられます。わたしのためのすべての新しい瞬間の中に最上のものがあることを。わたしはあなたにわたしの生涯をゆだねます。
そしてあなたが備えてくださることに「はい(Ja)」と申します。
あなたはやさしく、愛に満ちたこころと、終わることのない憐れみをもっておられるのです。

by XPreacher | 2013-10-27 10:20 | 三位一体後
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日本キリスト教団のとある牧師の説教をまとめています。


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